はじめのいっぽ

自分の心と向き合う、はじめのいっぽ。

これまでのこと②

①からの続きです。

yuki-dango.hatenablog.com

 

 

7月の頭ごろ、一度実家にいる母親に連絡を取りました。

配属されていた店舗は実家からかなり遠かったのですが、初めて自分から助けを求めました。

特に明確な理由があるわけではないけど、とにかく、来て欲しい。一緒にご飯を食べて欲しい。何も事情を説明しなかったけど、すぐに次の日駆けつけてくれました。我が母ながらさすが、フットワークが軽い。「明日行くよ」というLINEの返事を見た時、夜中1人で車の中で号泣しました。この時は、家に帰っても何も食べずに寝てしまうから、帰る前に何か食べるか買ってから帰ろうと思って、でも何も食べる気になれず、無心で車を走らせていたんです。寂しいね。

 

母親が3日間くらい滞在してくれて、身の回りのことをやってくれたり、買い物に行ったり、少し健康的な生活に戻ることができました。母に職場の愚痴を吐き出したことですっきりもしたし、客観的な意見も聞けて少し頭がクリアになったというか、切り替えることができて、もう少し頑張ろうと思えました。何より味方になってくれる人がそばにいてくれて、それを実感できたのがとてもエネルギーになったと思います。その時はそう思えました。

 

でもなんだろ、やっぱり根本的な解決には繋がらなかったのかな。母が帰って1週間後くらいには元の生活に戻っていました。まだもう少し頑張りたいという心の火はなんとか消えてないと思っていたけれど、どうしても行動に移せなくなってしまっていたんです。怖かった。例えばこの売り場はこうしたらいいと思うからこう提案したい、そしてこのスタッフさんにはきっとこう伝えるのがベスト、というところまで頭では分かっているのですが、それを実際に伝えるのができない。話し出すのが怖い。反応が怖い。そしてそう思っていると余計上手に話せなくなるんですよね。上手く伝わらなくて顔色を伺ってさらに焦って、そしてそれが相手を苛立たせる。そのことにも自分で気づくのでさらに焦る。良くない悪循環でした。

 

 

 

そして7月末、本当に無理になりました。

逃げることを選びました。

とにかくここから離れたかった。

 

 

今思えば本当にぎりぎりだったと思います。深いこととか先のこととか何も考えず、ただ休職と異動をしたいです、とだけ会社に伝えました。いつも面談してくれていた本社の上司の方の連絡先を知っていたので、軽く相談みたいな気持ちでLINEできたのが大きかったと思います。

 

でもその時はなんというか、物理的に自分の力だけではどうしようもできない出来事が起きてしまって、「あ、これは私の力だけでは解決できないしもうどうしたらいいか本当に分からない」という状況になったので、それがきっかけで逃げる選択を自分で選ぶことができたんです。

そうじゃなかったら、自分から無理ですと言い出せなかったと思います。会社に連絡した後もしばらくは「今日はご飯食べられるからまだ元気だな。休みたいなんて大袈裟だったかな。」とか本気で思ってました。この頃はよく、どこが自分の限界なんだろうっていつも考えていました。無理はしないでね、限界くる前にちゃんと休んでね、ってよくいろんな人が言ってくれるけど、限界のサインってどれ?って。もう無理は無理なんだけど。でも一応会社行けちゃうんだけど。これはまだ限界じゃない?

 

 

それからすぐ病院に行き、「適応障害」と言われました。この頃自分でよくうつ病などについて調べていたのでやっぱりそうだよなという感じでした。

お店の人員的に回せる範囲で、しばらくシフトの日数や時間を減らしてもらいながら出勤を続け、8月中旬ごろから休職期間に入っています。診断されてから実際に休職に入るまでのこの期間が1番しんどかったです。でもまあなんとか、そんな形で休職期間に入りました。今2ヶ月半ほどお休みしています。

 

 

 

私の休職に至るまでの話はこんな感じ。暗い話ばかりでごめんね。今は元気です!ご飯も毎日もりもり食べています。食べすぎなくらい。

次は休職してからの過ごし方について書こうかなと思います。明るい話や私の好きなものの話についても書いていきたいな。

 

ここまで読んで下さってありがとうございます。